父の机の上にある戸籍謄本に「平民」という記載があった。何だろうか?小学六年生の謎だったが、間もなく学校で校長先生による
特別授業「公民」で答えを得た。
明治維新以前は「士農工商」の身分制度であったが、維新により日本の近代化が進み、天皇陛下の「臣民」として四民平等になった。しかし皇族や華族があり四民平等とは言え士族・平民・新平民などのあるのが、新しい謎だった。
校長先生が「士族の人?」と言うと、クラスの二割位の子が手を挙げた。その多くは貧しい小作農の子で、また謎が増えた。
ボクの家は江戸時代から商人だった。校長先生は、また問を投げかけた。
「まさか、華族はいないだろうね?」 と、Y君が「ハア−イ!」と叫んで手を挙げて起った。
「出征軍人家族で−す」と胸を張った。Y君のお父さんは再度の召集令状を受けて出征し、彼の家の入り口には
「出征軍人家族の家」という木札が二枚掲げられていた。
戦局が厳しくなると、変な狂歌が流行り、また謎が増えた。
「世の中は、星と錨と闇に顔 浮世の馬鹿が起きて働く」
軍幹部と官憲が四民平等の上で支配する新しい階級になった。軍に配色の濃くなった頃、母が感に堪えぬ面持ちで言った。
「今度の知事さんは素晴らしい方だよ。平民宰相という言葉があるが、あの方こそ平民知事。納得し尊敬して随(つ)いていける方だね」 (この言葉が私の思想に及ぼした影響は後日「作文事件」になった。)
本土決戦に備え軍民一体の協力体制強化のため、数県をまとめた地方長官制度ができ、愛知、静岡、三重、岐阜四県は、
愛知県知事の小畑忠良さんが東海地方長官に任命された。当時、知事は選挙ではなく、内務省の下での任命制だった。
新長官の司政方針伝達式に、東三河各市町村の役所・団体の要職者が、豊橋市公会堂に召集され、大日本婦人会三遠地区副会長の一人だった母も参列した。
壇上で型どおりの自己紹介をした、小畑長官は、改めて壇下に立って参列者一同と同じ高さの床、同じ目線で穏やかに厳しく話された由。
「偉い人は威張っているのに、小畑さんは違うんだよ」とは母の言。
因みに、小畑さんは戦後、大阪府知事に革新系より立候補、また日中友好協会長もなさった。当地方選出の社会党衆議院議員・穂積七郎さんの奥様・万亀子夫人は小畑さんの長女、才媛・良母・賢夫人の誉れが高かった。(どなたもすでに故人、ご冥福をお祈りします。)
敗戦、一転して「臣民」は「国民」となり、平和憲法の下、日本社会の民主平等が進んだ。近頃は「市民」の名の意識革新が進んだかに思われるが、改めて「市民とは何か?」が新しい謎であ
る。
語り継ぐ「三河ぎっとう」記
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